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アレクサンドロス1世 (マケドニア王) : ウィキペディア日本語版
アレクサンドロス1世 (マケドニア王)[あれくさんどろす1せい]
アレクサンドロス1世(希:Ἀλέξανδρος Αʹ 、ラテン文字転記:Alexandros I、在位:紀元前498年-紀元前454年)は紀元前5世紀後半のマケドニア王である。彼は形ではアケメネス朝ペルシアに従っていたが、いくつもの対立行動を取った筋金入りの反ペルシアであった。古代オリンピア競技に初めて参加したマケドニア人としても知られる。先代王アミュンタス1世の子。
アレクサンドロス1世の息子には、次代の王アルケタス2世とさらに次代の王ペルディッカス2世(アルケタスを殺して王位についた)、そしてピリッポス(ペルディッカスに反旗を翻し、あるいはメネラオスとも言われる)がいる。
==概要==
ペルシアはパイオニア人を征服した後、アミュンタス1世の支配するマケドニア王国へとペルシアへの服従を迫る使者を送った〔ヘロドトス, V. 17〕。アミュンタスはそれを受け入れ、宴が催された。ところが、その席でペルシアの使者たちがマケドニアの女性たちに対して狼藉を働いたため、当時は王子だったアレクサンドロスはそれに怒り、女装させた青年を差し向けて使者たちを殺した〔ibid. 18-20〕。その後、姿を消した使者の捜索隊がペルシアより送られたが、ヘロドトスによればアレクサンドロスは捜索隊の隊長ブバレスを金銭と妹ギュガイアを渡して買収して事なきを得〔ibid. 21〕、ユスティヌスによれば彼女に恋したブバレスは彼女と結婚し、このためにマケドニアより手ぶらで帰ったという〔ユスティヌス, VII. 3〕。
ペルシア王クセルクセス1世ギリシア侵攻時(ペルシア戦争)、アレクサンドロスはペルシア軍に参加した。しかしアレクサンドロスはテッサリアに進んできたギリシア連合軍に撤退を助言したり〔ヘロドトス, VII. 173〕、ボイオティア人を彼らはクセルクセスに好意を抱いていることを示すことによって戦火から救おうとするなど〔ibid, VIII. 34〕、親ギリシア(時としてはあからさまな反ペルシア)行動をとった。紀元前480年サラミスの海戦の後クセルクセスはペルシアに帰ったが、その義兄弟マルドニオスの軍はまだギリシアに残った。マルドニオスはアレクサンドロスをアテナイへと送り、ペルシアへの服属を条件とした講和を打診したが、アテナイ人はそれを拒否した〔ibid, VIII. 140〕。翌年のプラタイアの戦いの直前、アレクサンドロスはアテナイの陣営に赴き、マルドニオスの作戦計画を知らせて忠告をした〔ibid, IX. 44〕。結局マルドニオスは戦いに敗れて戦死した。
また、トゥキュディデスによれば、アレクサンドロスはマケドニアの沿岸地域を征服するなど領土を拡大した〔トゥキュディデス, II. 100〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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